京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター

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伝音アーカイブズ

壱越調〈賀殿〉とその“渡しもの”のはなし ─平安・鎌倉時代の雅楽はこんな曲!?─

このページは宇治市民大学企画・主催の、平等院鳳凰堂修理落慶を記念して開催されたシンポジウム「平等院とその魅力」でのレクチャー / 演奏の模様を演奏動画つきで紹介するものです。
ただし、当日配布された解説文に大幅な加筆・再構成を行っております。したがって、内容や演奏順序等において、当日のレクチャーとは大幅に異なっております。

2014年11月29日 宇治市民大学シンポジウム 平等院とその魅力、宇治市生涯学習センター第1ホール
第1部 古譜再現雅楽による奉祝演奏(レクチャー付き)

 

撮影ならびにネット公開をご快諾いただいた宇治市民大学に篤く御礼申し上げます。

 

追記:以下のページに他の曲の動画を掲載しております、合わせてご覧ください。

国宝平等院鳳凰堂は、平成24年9月から平成26年3月にかけて屋根葺替え及び塗装事業がおこなわれ、推定される創建当時の姿に変わりました。観無量寿経などには、浄土の音楽を観想することが阿弥陀の西方浄土往生を得る一つの方法と説かれています。そのために平安の人たちは、もともと大陸や朝鮮半島から輸入された音楽─雅楽─を浄土の音楽(に類するもの)と考えて、演奏修練に励みました。鳳凰堂のような浄土の宮殿を模したお堂の前庭や池の中島では、盛んに雅楽(舞楽)が演じられました。では、(浄土の音楽としての)雅楽とはどのような音楽でしょうか。今回は、鳳凰堂修理落成を寿ぐ気持ちをこめて雅楽〈賀殿 Kaden〉を演奏します。

〈賀殿〉は、藤原貞敏(FUJIWARA no Sadatoshi 807~67)が唐留学時代(835~9/一説838~9)に、琵琶の名手簾承武(REN Shoubu一説、劉二郎)に師事し、帰朝後広めた曲の一つとされています。そして日本において、〈嘉祥楽 Kasho-raku〉という別の曲を破の楽章、〈賀殿〉を急の楽章、道行を〈迦陵頻急Karyoubin no kyu〉として舞楽曲に仕立て、林直倉(HAYASHI Naokura)が舞の振り付けをしたということです。
このうち〈賀殿〉の急楽章(以下、賀殿急)は、こんにち頻繁に演奏される雅楽の代表曲のひとつです。ではこの〈賀殿急〉の前半部分(半帖)を演奏してみたいと思います。

いまお聴きいただいた演奏は、我々が馴染みのある雅楽の音楽とはずいぶん異なる音楽でした。そしてあっという間に終わってしまいました。実は、ただいまの演奏は、平等院創建よりももう少し後の時代の平安末・鎌倉期雅楽の音楽様式を推定し、かつその時代の楽譜史料用いて再現した〈賀殿急〉半帖です。

音楽学者ローレンス・ピッケン(Laurence PICKEN1909〜2007)によれば、大陸より舶来した当時の雅楽は、大陸的・歌謡的なメロディーであり、その後徐々に何倍も、曲によっては十数倍も〝まのび〟したといいます。もちろん単純にマノビした / テンポが遅くなった、ということではありません。拍節構造が変化していると思われますし、篳篥(ひちりき)(今回は演奏に加えていません)は、近世的ともいえる都節音階を大胆に取り入れています。また箏(コト)はいつの時代にか左手奏法を放棄してしまい、こんにちに至っています。では、時間的に何倍にも伸びた、こんにちの雅楽〈賀殿急〉はどのような音楽でしょう。おなじく前半部分(半帖まで)を聴きくらべてみてください。

『源氏物語』などの雅楽演奏シーンから察するかぎり、旋律楽器であって、かつ花形であったはずの箏(コト)や琵琶は、現在の雅楽では完全に伴奏役になってしまっています。それは笙についても同様です。なお、笙については合竹(あいたけ/がっちく)とよばれる和声を伴って奏しますが、現行の合竹と鎌倉期の楽書『続教訓抄』にある合竹では(文末参照)、和声の構成音がかなり違います。そして『続教訓抄』の合竹は、現行の笙の指使いでは演奏不可能です。

さて、古今の音楽様式の違いをご理解いただきましたところで、古い楽譜の研究/解釈による〈賀殿〉の破と急をお聴きいただきます。鳳凰堂建立時代、あるいはそれ以前にまとめられた楽譜としては、源博雅(MINAMOTO no Hiromasa 918~80)の『新撰横笛譜』(通称:博雅笛譜、博雅長竹譜など)や源経信(MINAMOTO no Tsunenobu 1016~97)の琵琶譜が伝存しますが、いずれも断簡譜であり、また今回取り上げたい壱越調〈賀殿〉の楽譜は含まれていません。したがって本日はもうすこし後の時代の平安末・鎌倉時代の楽譜(文末)を用いて演奏します。

平安末・鎌倉期の舞楽〈賀殿〉は、破の舞が二帖、急の舞が四帖ありました。すなわち楽曲のほうは破を2回リピート、急を4回リピートしていたわけです。これにちなんで、破を二返、急を四返演奏してみます。ただし、今回の破の演奏は、(推定される、当時の)只拍子のリズムで演奏します(舞楽は通常、楽拍子で演奏されました)。 破では、まず初めの一返を箏のみで演奏し、二返目を合奏としてみました。続く急では、藤原貞敏が琵琶でもって我が国に伝えたという故事にちなんで、初め一返を琵琶のみで演奏してみます。続く二返目で龍笛・笙・箏と順に加わっていき、三返目・四返目を合奏としてみました(これについては史料的根拠に基づくものではありません)。ではどうぞ最後までお聴きください。

以上お聴きいただきましたのは壱越調(主音D)という調の〈賀殿〉ですが、壱越調曲のいくつかは、平安時代に双調(主音G)に移調されました。それを「渡しもの」といいます。鎌倉時代の楽書『教訓抄』(1233)によれば、「渡し物は御遊(ぎょゆう)ならびに式講(しきこう)の料(たね)、弾き物に付きて渡しおくところなり」とありますので、舞を伴わない音楽のみの演奏の場(御遊や管絃講など)において、絃楽器の事情で双調に移調されたようです。律ではもっぱら平調(主音E)の曲が選ばれるのに対し、呂のほうは双調の曲が少ないので、壱越調曲を「渡して」補充しました。では、なぜ律の平調に対して呂に(壱越調ではなく)わざわざ双調を合せるのでしょうか。「弾き物に付きて」とあることから、おそらくそれは、調絃変更が煩わしい楽器「箏」の事情ではないでしょうか(この問題については『日本伝統音楽研究センター所報』第12号13、14ページにも少し触れています)。あるいは、催馬楽をうたったり、唐楽の唱歌をする場合に壱越調よりも双調のほうが人の平均的な声域に合うのかもしれません。これらの問題については稿を改めたいとおもいます。
それでは、以前に演奏した双調〈賀殿急〉の映像がありますのでお聴きください。

(2014年1月18日、於京都西文化会館ウエスティ創造活動室)

音域が極端に狭い篳篥は、移調に不向きな楽器です。篳篥が欠くことのできない最重要楽器であり、かつ箏などが旋律の体を成していないこんにちの雅楽では、同じ曲でも壱越調と双調とでは、(篳篥の)節回しが異なるため、結果印象も異なります。調が違えば、違う曲という認識が一般的です。しかし、このように箏などが旋律を奏していると認識できるよう、現行とはことなる時間概念でもって演奏をしてみると、調が違っても同じ曲と認識できます。それはこんにち我々がピアノなどで移調奏する感覚とほぼ同じといってよいでしょう。管楽器や琵琶の場合は、壱越調と双調でべつべつの楽譜が必要であり、加えて、笙と笛に関しては、出せない音(出しにくい音)がありますから、完全な移調というわけにはいかず音階構造が若干変わってしまう場合があります。その点で箏の場合は、移調の際調絃を変えるだけ楽譜は同じものを使用しますので、「移調」という概念そのものといえます。

 

Ⅴ おもな使用楽譜・楽書

  • 箏譜『仁智要録』
    平安末期の大音楽家、藤原師長(FUJIWARA no Moronaga1138~92)撰の一大箏譜集成。約200曲を収録する(巻数・曲数は伝本により異なる)。
  • 琵琶譜『三五要録』
    同じく藤原師長の撰になる一大琵琶譜集成。巻構成や収録曲数・曲順はほぼ『仁智要録』に同じ。
  • 龍笛譜『管眼集』
    管絃集とも表記される。南都興福寺所属楽家の狛氏の笛譜。内容はおそらく平安時代末期ないし鎌倉時代初期頃と推定。やや錯簡が目立つ。
  • 笙譜『古譜呂巻』
    古譜呂巻と古譜律巻とがあり、通称あわせて「古譜呂律巻」と呼ばれる。京都方楽人の豊原利秋(TOYOHARA no Toshiaki 1155〜1212)撰の笙譜。
  • 楽書『続教訓抄』
    狛朝葛(KOMA no Tomokatsu1247~1331)の撰述。現在知られる伝本は16冊構成。文永7年(1270)より起筆し始めたと推測される。今回は、第10冊所引『相竹略頌』の笙の合竹(和音奏法)を参照した。

Ⅵ 演奏者・スタッフ

でんおん管絃講 田鍬 智志(日本伝統音楽研究センター准教授・箏・琵琶)
齊藤 尚(同センター図書室学芸員・龍笛)
山口 敦子(京都市立芸術大学大学院修士課程日本音楽研究専攻・笙)
企画構成・文 田鍬 智志
ウェブ構築 東 正子(同センター非常勤講師)
(所属は2014年12月現在)
公開:2014年12月12日 最終更新:2018年05月17日

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