京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター

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伝音アーカイブズ

南都楽家の舞譜『掌中要録』を舞う その1  ─平安・鎌倉時代の舞楽はこんな舞!? ─

譜
紅葉山文庫本『掌中要録』(内閣文庫蔵)より楽拍子様《万歳楽》第一帖舞譜の前半部分
講演A 2015年2月28日
でんおん連続講座E「平安末期・鎌倉期の舞楽─音楽と舞の様式をさぐる─」
京都市立芸術大学大学会館ホール。講演B 2015年3月7日
五感を使って源氏物語を楽しむ講座第1弾「平安・鎌倉時代の舞楽はこんな舞!?─舞譜『掌中要録』と楽書『教訓抄』『続教訓抄』の解読に挑む─」、宇治市源氏物語ミュージアム講座室。

なお、本篇をご覧になるまえに、以下「平安・鎌倉時代の雅楽はこんな曲!?」シリーズ・バックナンバーをご一読ください。本篇は下記よりもより専門的な内容となっております。

1)中古・中世の文献にみえる音楽・舞の描写

あまりに有名な『源氏物語』紅葉賀の、光源氏・頭中将が舞う《青海波》をはじめとして、中古・中世の物語などには、雅楽・舞楽のシーンがたびたび描かれています。それらをよくよく読むと不可解な点がたくさんあります。今の雅楽を思い浮かべるかぎり、伴奏のような音型しか奏していない琵琶や箏を日常のなかで楽しそうに演奏していたり、また、(現行の)舞楽の舞はとても静止状態が長く、足の動きは極めて抑制された動きであるはずなのに、歩きながら─前進しながら─舞っていたり(『うつほ物語』)、蹴鞠の足の運びやタイミングを舞楽の “足踏”なるものや鞨鼓・太鼓のリズムに擬えて説明していたり(『革匊要略集』1286)。当時の雅楽(舞楽)の音楽・動作の様式は、現行とはまったく異なっていたと考えざるをえません。

では、中古・中世の雅楽(舞楽)の音楽・舞はどのようなものだったのでしょう。それは、研究者それぞれの研究方法、史料解釈によってかなり見解がことなります。もちろん時間の流れになかで一時的に存在する音楽や舞は、時代とともに変化するものであり、楽家によっても様式は異なるものです。のみならず同じ人物が演奏する音楽・舞でも若いころと晩年では異なり、朝と夕でも異なります。解釈の方法によっても、またそういった伝承の実態を考えても、唯一無二の答えはありえません。ここに提示する中古・中世の舞楽の姿は、あくまで無数に考えられる解釈のひとつです。

今回は、左方舞と龍笛・打物を伝承していた興福寺属の楽家、狛(こま)の舞譜である『掌中要録』(平安末~鎌倉期)および同家の楽書『教訓抄』(1233狛近真撰)・『続教訓抄』(1270頃 狛近真撰)、そして同期の楽譜『仁智要録』『管眼集』『古譜律巻』などを用いて、当時の楽舞の再現をこころみました。

譜
紅葉山文庫本『掌中要録』より只拍子様《万歳楽》

2)只拍子の《万歳楽》・楽拍子の《万歳楽》

さて、今回例としてとりあげる曲(演目)は、《万歳楽》です。この曲は、序・破・急でいうところの破のリズム/テンポに相当する曲です。平安末期や鎌倉期、《万歳楽》のような破に相当する曲には、只拍子(ただびょうし)・楽拍子(がくびょうし)という2様のリズム・テンポの演奏の仕方がありました。鎌倉時代の琵琶の名手、藤原孝道は、この2様の拍子について次のように記しています。

まめやかのむかしは、がく(楽)拍子はなかりけるとかや。いつのほどの事にか、いできたりけん。(中略)(貞保親王の南宮琵琶譜や源博雅の新撰横笛譜など昔の譜は)みな只拍子にてあんめるを、いづれのとき、かしこき君の御時、めいよある人、さだめて楽拍子せられけんやうあるらん。
(1228『新夜鶴抄』)
楽びやうし(拍子)といふものは、舞につきてあるべきことなり。(中略)(対して、只拍子で舞う演目は《陪臚》などごく限られているが、本来的には)いづれも只拍子にてまひ(舞)はありとぞ、みつちか(狛光近)は申ける。楽人舞人はまひ(舞)にするを楽拍子としり、ただのおり(折)のをただひやうし(只拍子)といふめり。まことには、のびてかこ(鞨鼓)を二づつうちたるぞ只拍子、おなじまくばり(間配)にうつぞ楽拍子とは管絃者方にはしりたる。
(1227『雑秘別録』)

この孝道の記述から、大陸から輸入していた時代やその後しばらくの時代には、リズムに2様などありませんでしたが、いつの頃にか、舞楽用のリズム「楽拍子」が何者かによって考えだされ、対して旧来のリズムは「只拍子」と呼ばれるようになったことがわかります。そして、具体的に只拍子とは「鞨鼓を同じ“間配り”で打つリズム」、対する楽拍子は「“延びて”鞨鼓を“二つずつ”打つリズム」だといいます(注)。平安末期の箏譜『仁智要録』の《万歳楽》の楽譜をみると、たしかに、只拍子譜のほうは拍の間隔がみな同じ間配り、たいして楽拍子譜のほうは、長い拍(鞨鼓拍子)と短い拍(鞨鼓拍子)とが交替しています。

ところで、孝道の記述からもわかるように、鎌倉時代にはいると、破の舞はもっぱら楽拍子で舞われ、(一部の演目を除いて)只拍子で舞うことは行われなくなっていました。しかし《万歳楽》のみ、鎌倉時代にはいっても楽拍子様とともに只拍子様の舞い方が伝承されていました。只拍子舞のほうは、第三帖のみが伝わり、元日の興福寺別当朝拝のあとの御遊においてのみ舞われる特別な舞であったようです。

一方、楽拍子舞のほうは、第一帖(初帖)、第二帖、第五帖(終帖)のみが伝わっていたようです(『教訓抄』)。 『掌中要録』に収められている《万歳楽》舞譜には、楽拍子様の第一、第二、第五帖の舞譜と、只拍子様の舞譜(第三帖)があります。ちなみに現行の《万歳楽》は、第一帖の半帖(前半部分)のみしか伝承していません。

舞の動作に関しては、のちに話します。まずは、只拍子と楽拍子のリズムの違いを聴いてみてください。音楽のリズムの違いとともに、舞の四肢の動き、上体の保ち方などについて現行の舞楽と比較してどうであるか、注意してご覧になってみてください。現行舞楽の《万歳楽》をご覧になったことのない方は、YouTubeなど動画投稿サイトにて「万歳楽」で検索してみてください。

※ 演奏・舞ともにミスがございます。
※ 古今通じて《万歳楽》の装束は襲(かさね)装束ですが、蛮絵装束を着用しております。また楽人は椅子に腰かけ、箏は立奏台を使用しています。これらは史料に基づくものではありません。ご了承ください。
ただし、こんにち右方舞に用いる縹(はなだ)色の袍を左方用として着用しているのは、天野山舞楽装束の遺例に倣いました。

いかがでしたか。『糸竹口伝』(1327)に「平調ナラバ萬歳楽。(箏は)最(もっとも)シヅカニ、サハヤカニ、シトシトトヒキ切ヒキ切、カキヤウモシヅカニアルベシ」とあるように、曲想はまさにノスタルジアです。覚えやすく親しみやすい只拍子に比べると、楽拍子のほうはやや複雑です。平安中期の舞の史料は乏しく、わからない点は多々ありますが、只拍子様の《万歳楽》は、楽拍子よりも古風であり、おそらくは『うつほ物語』『源氏物語』などに描かれる舞は、今回再現した只拍子様《万歳楽》のような楽舞ではないかと推測されます。

3)中古中世舞楽の下肢動作 ─足踏み─

さて、舞のほうをご覧になって、どのような感想をおもちになったでしょうか?現行の舞よりもかなり躍動的といった印象を持たれたのではないでしょうか?それは足動作の様式が異なっているからです。
『教訓抄』には、足の動作について次のように書かれています。

■ 先、舞曲ノ躰拝ヲ習ト云ハ、(中略)頭ヅカイ、頸モチ、肩サシ、肘ツカイ、腰ツキ、足フミ、古跡ヲ守ルベシ。
■ 次ニ、足踏モ、台ヲナラサズ。(中略)高ク踊ル舞ニモ、爪立テヤガテ落居バ、台ナル事ナシ。延立モ、落居モ、ヤワラツゝスルヲ吉舞人トハ云ナリ。

中古中世の物語や口伝書などあらゆる文献においては、もっぱら舞の足動作のことを「足踏」と表現しています。蹴鞠のステップを舞の足動作で説明したり、上のように、台(舞台の床)を鳴らさないように足踏をすべきであると云っている例からしても、足踏み、すなわち“スタンピング”が当時の舞の基本的足動作であったと考えるべきでしょう。そして、舞譜『掌中要録』には、小文字でかかれた「右足」とか「左足」という指示が多く見られますが(上掲図参照)、これらは、『教訓抄』の、鶏婁鼓・一鼓を首からさげて打ち鳴らしながら行道するさい動作記述(舞譜)にもあって、行進が可能な足動作、すなわち足踏の指示であることがわかります。ただし実際は表記されている「左足」「右足」よりも多くの足踏をしていて、かつ、なんらかの規則性・周期性があって、大文字でかかれた動作(主に上肢動作)のタイミング(何拍目か)を示す補記ではないかと考えられます。

『うつほ物語』俊蔭には、仲忠が琴(きん)で「万歳楽ほのかにかき鳴らして弾くときに(中略)仲頼(琴の音に)感にたへで下り走り、万歳楽を舞ひて御前に出て来たり。」というくだりがあります。足の基本動作が足踏みであるからこそ、舞いながら「御前に出て来」ることができるわけです。

試みまでに、先ほどの只拍子様の《万歳楽》を前進しながら舞ってみました。現行舞楽《万歳楽》が、このように自由な方向に移動可能な足動作であるか、動画サイト等でご覧になってみてください。

なお講演Bにても同様の試みを行いました( https://youtu.be/SR_wy2GCTwQ )

4)中古中世舞楽の上体姿勢・上肢動作 ─前傾姿勢とひるがえる袖─

現行舞楽との決定的なちがいは、上体の姿勢の保ち方についても然りです。上体姿勢について『教訓抄』には、「アフノキタルヲバ、正念ナクミユト云、ヲチクビ(落ち首)ナルヲバ、物ヲ求ルカト笑フ。口伝云、鎌首ト云事アリ。ソノヤウ(様)ヲ存ジテ、吉(よき)程ヲハカラフベシ」とあります。現行舞楽のように仰のいている上体は正念がなく、蛇が鎌首をもたげるように前傾姿勢をとるのが、理想的上体姿勢であったわけです。『増鏡』老の波には、「一の舞久資といふ者、少しねびて(=老人じみていて)いとよしよし(由由)しう、面もち・足ふみ、かみさびて(=神々しくて)おもしろし。萬歳楽・賀殿(後略)」というくだりがあって、鎌倉期頃には、老翁のような身体表現が神々しいとされ、好まれていたことがわかります。その老翁的身体表現のひとつが前傾姿勢です。『舞楽図巻』(谷地八幡宮蔵、鎌倉時代)をはじめ、その時代の絵画史料には一様に、舞人の前傾姿勢と足踏みが描かれています

同じく『増鏡』内野の雪には、「舞人の袖かへる程も、いとおもしろく」という描写があります。「袖かえる」「袖ひるがえす」といった舞の描写は、中古中世文学・記録のなかでは極めて一般的です。まさに袖をひるがえる上肢動作が「去肘(のけかいな)」です。両腕による「諸去肘」、左右どちらかの腕による「左去肘」「右去肘」があります。『続教訓抄』には次のような説明があります。

諸去肘、左右手ヲ被(ひろげ)テ、袖ノハタ(端)ノウシロヲトルヲ云ナリ、 左去肘、左ノ手ヲノ(退)ヘテ、ソデノウシロヲトル、右ノ手ヲハ腰ニツ(付)クルナリ、 右去肘、左ニナゾラヘテシルベシ、

当時の「去肘」は袖の端のうしろを掴まなければいけないので、袖を勢いよく振りあげなければなりません。現行舞楽においても「去肘」と称する動作名目がありますが、そのような袖をはためかせる視覚的効果などまったく狙っていませんし、“かいなが去っていく”動作にたいへん時間をかけています。対して当時の「去肘」は一瞬で終わってしまう動作であったわけです。このように、多くの動作名称は古今共通して用いられていますが、その意味する動作そのものについては、今と昔では著しい相違があります。

それでは、もう一度只拍子・楽拍子両様の《万歳楽》をご覧いただきますが、こんどは講演Bの模様です。すべての動作名目について解説できませんので、映像画面上に『掌中要録』舞譜を進行にそってテロップ表示しております(講演Aの映像にも表示しております)。舞楽をすこしご存じの方は、現行の動作との違いを考えながらご覧になってみてください。

5)楽書・舞譜・楽譜の解題

  • 楽書『教訓抄』
    天福元年(1233)狛近真(1177~1242)撰。近真自身の健康問題と後継問題から全十巻からなる『教訓抄』を撰述。結果として、大規模でかつ体系的、独習書的な性格を有することとなった。その意味で『教訓抄』が伝存する意義は非常に大きい。ちなみに今回の太鼓の再現は、所収の打物譜に基づく。
  • 楽書『続教訓抄』
    近真次男の光葛の子である狛朝葛(1247~1331)の撰述。内容の多くは『教訓抄』の引き写しで、それに朝葛自身が補筆したもの。撰述年代は明確ではないが、文永七年(1270)に起筆されたことは明らか。引き写しが多いとはいえ『教訓抄』に拾われていない楽説や朝葛自身の意見も多く収載しており、『教訓抄』以後の様式の変化を窺わせる記述もある。
  • 舞譜『掌中要録』
    『続教訓抄』によれば、狛光時(1087~1159)が、狛氏相伝の舞をすべて舞譜として記録したという。またその後の光近(1118~1181)、光真(1165~1240)、近真も、光時の書いた舞譜を書写し、そこに加筆・改筆などを行った。『掌中要録』とは、それらを編纂したものであろう。『掌中要録』と題する伝存本には、上・下・秘曲巻からなる三冊本系と楽書部類本系との二系統がある。どの系統本も錯簡が目立つ。
  • 箏譜『仁智要録』
    平安末期の大音楽家、藤原師長(1138〜1192)撰の一大箏譜集成。約二百曲を収録する(巻数・曲数は伝本により異なる)。各曲、只拍子様と楽拍子様(「同曲」と表記されている)の両譜を収載している。楽拍子の楽譜は、全体的にタイミングを半拍遅らせて奏す由利弾(ゆりびき)で書かれている。
  • 龍笛譜『管眼集』
    管絃集とも表記される。南都興福寺所属楽家の狛氏の笛譜。内容はおそらく平安時代末期ないし鎌倉時代初期頃と推定。やや錯簡が目立つ。《万歳楽》の譜に関しては、タイミングを遅らせないで吹く於世吹(おせぶき)様で書かれている。
  • 笙譜『古譜律巻』
    古譜呂巻と古譜律巻とがあり、通称あわせて「古譜呂律巻」と呼ばれる。京都方楽人の豊原利秋(1155〜1212)撰の笙譜。《万歳楽》の譜に関しては、タイミングを一拍遅らせて奏す由利吹(ゆりぶき)様で書かれている。

 

6)出演者・スタッフ

田鍬 智志(日本伝統音楽研究センター准教授)
齊藤 尚(同センター図書室学芸員)
増田 真結(作曲家・京都市立芸術大学音楽学部講師)
龍笛 古野 雄真(関西学院大学大学院修士課程文学研究科)
山口 敦子(京都市立芸術大学大学院修士課程日本音楽研究専攻)
太鼓 青木 倫裕(明壽院〔伏見庚申堂〕住職、講演Aのみ)
企画・構成・執筆 田鍬 智志
ウェブ構築 東 正子(同センター非常勤講師)
協力 家塚 智子(宇治市源氏物語ミュージアム学芸員)
(所属は2015年3月現在)

注: 『雑秘別録』の文は「舞は本来すべて只拍子であったのだから名称を逆にすべきだ」という意見を述べたものです。別の事情として、鎌倉期には、タダの折(舞楽ではなく、御遊・管絃講など管絃のみのとき)でも楽拍子で演奏することがあったようです(金沢文庫保管の管絃講資料など)。また、『新夜鶴抄』には只・楽の2様がないとある「はやきもの」(急に相当する曲)でも、楽拍子で演奏することもあったことが『管眼集』などから窺えます(おそらくそれも御遊や奏楽の場合でしょうか)。そのように時代が下るにつれて、必ずしも「楽拍子=舞楽の破の舞のためのリズム」ではなくなってきて名称と実際とに矛盾が生じたことも『雑秘別録』にみえる議論の背景として考えられます。

本研究は、カワイサウンド技術・音楽振興財団より助成を受けました。記して御礼申し上げます。またこの研究は、田鍬智志共同研究の2014年度成果の一部でもあります。

公開:2015年03月31日 最終更新:2018年05月16日

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