京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター

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伝音リレーエッセイ

第四回「秦王破陣楽」 渡辺 信一郎

本来なら、でんおん連続講座で『旧唐書』音楽志を素材に、隋唐時代の音楽を話しているはずだった。新型コロナ肺炎のおかげで、この講座もさきおくりとなり、あまつさえ外出自粛で家にとじこもることになった。ならばと、予習をかねて唐代音楽に関する史料をてあたりしだい、読んでいる。そこからの余滴。

9世紀末の段安節『楽府雑録(がふざつろく)』を読むと、当時の音楽を雅楽部・鼓吹部・胡部など八部の部伎にわけて記述している。そのひとつである亀茲(きゅうじ)部について、つぎのような解説がある。「楽器には篳篥(ひちりき)・笛・拍板・四色鼓・揩鼓(かいこ)・羯鼔(かっこ)・雞樓鼓(けいろうこ)をもちいる。……破陣楽もこの亀茲部に属する。秦王李世民(唐太宗)が作った舞楽で、舞人はみな作りものの甲冑を着、旗さしものを手にもつ。地方の藩鎮(節度使)は、春と冬の犒軍(軍人慰労の宴会)でも、この舞楽を演奏する。あわせて会場に馬軍を引入れるので、壮観この上ない」と。

破陣楽(はじんらく)は、正式には「秦王破陣楽」という。唐王朝の実質上の創業者である太宗李世民(598~649)は、ほぼ10年をかけて隋末の群雄を平定していった。このとき、そのありさまを民衆が歌いかつ舞いはじめたのが破陣楽である。それらは、627年、52楽章からなる「秦王破陣楽」にまとめられ、120人の楽人が演舞するようになった。堂堂たる大編成の舞楽である。「秦王破陣楽」は、52楽章のほか、唐一代をつうじて大小様ざまなヴァージョンがつくられた。今回のひきこもりで、唐末まで歌いつがれたことに、あらためて気づいた。唐末の亀茲部破陣楽はどのような舞楽だったのか。気になる。

『古楽図(信西古楽図)』中の秦王破陣楽・皇帝破陣楽

秦王破陣楽は、太宗在世中にインドにまで伝わった。玄奘は、『大唐西域記』のなかで、インドでも各地で民衆がおおいに歌っていると、書きのこしている。また821年、チベットのラサで挙行された吐蕃(とっばん)と唐との講和会議(唐蕃会盟)でも、その饗宴にさいし「涼州」「緑腰」「胡渭州」とともに演奏された。日本でも752年の東大寺大仏開眼供養会で「破陣楽」「皇帝破陣楽(おうだいはじんらく)」の二曲を演舞している。世界的に流行したといってよい。

さきの『楽府雑録』には、地方の節度使が春と冬の軍人慰労会でも、破陣楽を演奏するとあった。玄宗の末年に起きた安史の乱(755~763)は、唐の天下をゆるがす大事件となった。こののち、辺境地帯の軍管区であった節度使が内地にも設置されるようになり、全国土が40余りの軍管区に分割された。節度使は、軍政と行政を掌握し、なかば独立して唐王朝の命令にしたがわないものもいた。軍将・兵士にもなかなかの強者がおり、待遇が悪いと騒ぎだし、節度使の首をすげかえるものがでてくる。春と冬の軍人慰労会は、兵士を籠絡するために最低限必要な行事であった。なお、春・夏には、春衣・冬衣賜給の名目で官僚・軍人にはボーナスも支給される。杜甫は、春衣を質に入れて、曲江あたりの飲み屋で飲んだくれている。

荊南節度副使を勤めた唐の李筌の兵書『太白陰経』は、この軍人慰労会の食事内容と出し物の一覧を記述する。以下、簡単に紹介しよう。書きだされた食材は、酒一人2升(≒1.2ℓ)、羊肉、牛肉一人2斤(≒1300g)、白米、薄餠、饅頭、散子、蒸餅、餜饠、餻餅、糯米、菜、羊頭蹄、醬羊肚肝、塩、油、醬、醋(す)、椒(サンショウ)、薑(ショウガ)、葱(ネギ)である。食材・調味料ごとに兵士ひとりあたりの分量と一軍1万2500人分の総計を記している。料理は、思うに羊と牛の焼肉に肉入り野菜スープ、幾種類かの餅(ピン)にご飯といったところか。当時の酒は、清酒と同じく醸造酒が一般的で、アルコール度数は12%ほどであった。これだけの肉と酒があれば、兵士は満足したことであろう。酒も酣(たけなわ)になると、参会者が順次たちあがり、舞っていくのが古来の酒令である。兵士なら剣を抜いて舞う者もでてくる。

中国ではむかしから、音楽・芸能のともなわない食事は、まともな食事とはみなされない。『太白陰経』は、食材のあとに、「隨筵楽例」と標題して、宴席に提供する芸能と楽器を例示する。楽器は、大鼓・杖鼓・腰鼓・笛・拍板。したがって楽隊は、五人以上である。出し物は、破陣楽・舞剣渾脱(ぶけんこんだ)・角抵(レスリング)・投石(砲丸投げ)・抜拒(綱引き)・蹴踘(けまり)・百戯(サーカス)である。楽器の種類と出し物とを考えあわせると、この破陣楽は、レスリング・サーカスなどと同類の散楽に属する舞楽である。東大寺開眼供養会に演じられた「皇帝破陣楽」は、「渾脱」・「嗔面(てんめん)」とともに、唐散楽と明記されている。舞楽というより、大衆芸能とみたほうがよい。ちなみに唐朝宮廷の散楽楽人は定員1000人であり、各州から上番する人数が決まっていた。それ以外の散楽楽人は地方の農村を巡回して興行した。

『古楽図』中の散楽楽人

 

唐朝の創業を歌う破陣楽は、世界的に流行し、唐末にいたるまで民衆や兵士に歌いつがれた。唐代中国に稀有の舞楽である。日本に伝来する楽譜には「秦王破陣楽」ものこっており、五線譜にもなっている。昨年3月、中国西安鼓楽芸術団が伝音センターを訪問された。そのときいただいたDVDには破陣楽も含まれている。機会があれば、伝音セミナーで紹介し、みなさんと聴き比べて、秦王李世民の雄姿を想像してみたい。

*図版は、上野学園大学日本音楽史研究所編『陽明文庫蔵舞絵 [舞楽散楽図] ; 法隆寺旧蔵揩鼓』(思文閣出版, 2016年)により、すこしく改変した。

公開:2020年06月17日 最終更新:2020年06月11日

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